帝国ホテルを辞めて海外へ。今フィリピンで最も愛されている日本人・三海郁弥の挑戦。
今フィリピンで絶大な人気を誇る日本人といえば、フィリピン発日本人YouTuberの三海郁弥さん。
マニラやセブ、ダバオなどフィリピン全土で、彼の名前は知られており、日本人というと「Fumiya!」という言葉がフィリピン人からも返ってくることもしばしば。
2019年7月現在、YouTubeチャンネル「Fumishun Base」はチャンネル登録者数160万人、インスタグラムはフォロワー57万人を突破し、フィリピンの国民的人気テレビ番組やコメディドラマにも出演し、人気を集めています。
今フィリピンで絶大な人気を誇る一方で、日本人の中では、三海郁弥さんってどういう人なのだろう?と思う方もまだいると思います。
僕自身、約2年前に初めて三海郁弥さんに会い、交流を続ける中で、帝国ホテルのホテルマンだった過去やホテルを辞めてYouTubeを始めたきっかけ、フィリピンでチャレンジしようと思った考えなど、様々な彼の隠れた想いやそこに至るまでの努力を友達の1人として見聞きしてきました。
これから間違いなく、日本でも人気となる三海郁弥さんについて、まだ世には知られていない過去の経験や想いをインタビューを通してお伝えさせていただきます。
サクッと読める目次
3ヶ月外部との交流できず。
「PBB(※)」の出演をきっかけに色々なフィリピン人の方に存在を知ってもらえたのですが、出演中の約3か月の間、外との交流が全くできなかったので、外の世界に出てきたときは状況が掴めませんでした。。
YouTubeで閲覧可能:Pinoy Big Brother
なかなかできない貴重な体験をさせてもらっていて、チャレンジの毎日です。
前半では、フィリピンのテレビ番組「PBB」に出る前までの話をお聞きできればと思います。
父の会社が倒産。人脈の大切さを知り、日本一のホテルに就職。
今の活動とはすぐにはリンクしない人が多いと思うのですが、なぜホテルマンを目指そうと思ったのですか?
祖父母や親戚などに、会社を経営する人が周りに多くいた環境で育ったこともあり、小さいときから、「社長になりたい!」というのが僕の夢でした。そして、父もスーパーマーケットを経営していて、その背中を見て育ちました。
中学、高校と「社長になりたい」と漠然と思っていたところ、僕が高校2年生のときに、父が経営していたスーパーが倒産するという経験をしました。
当時、大変な状況にあったため、社長である父を心配して「大丈夫なの?」と聞いたところ、父は「今までの繋がりがあるから全然大丈夫だよ。何とでもなるよ。」と言い、そして、実際に逆境を乗り越えていきました。
子供ながらに、人との繋がりや人脈の大切さを身をもって知る経験になり、今でも強く影響を受けています。
そして、接客業の中でも、より良い人脈が築けるのはホテルだと考えて、高校を卒業後上京して2年間ホテルの専門学校に通いました。
「自分のファッションブランドを作りたい。」夢を追って海外へチャレンジ。
ホテルで出会うお客さんを通して、「SuperDry(極度乾燥しなさい)」という日本語の文字を利用したファッションブランドが外国人からすごく人気があることに気づきました。
それを知ったときに、自分がせっかく日本人に生まれたのだから、日本人が作る日本語のブランドを作りたい!と思い、自分のファッションブランドを立ち上げたいと考えるようになりました。
まずは自分が広告塔に。フィリピンとYouTubeとの出会い。
ホテルを辞めた後はどうしたのですか?
海外で通用するファッションブランドにしたいと思っていたので、まずは自分が英語を話せるようにと語学留学をすることにしました。
実はフィリピンに行く1年半前から日本人向けにYouTubeをやっていたのですが、当時の登録者は100人でした…笑
フィリピンに来て2ヶ月くらいで2000人を超えて、「すごい!」となってYouTubeをもっと頑張ろうと思いました(笑)
自分自身にある程度知名度があったら、ファッションブランドを立ち上げるときに、自分自身が広告塔になれますし、メディア(YouTube)を持っていたら、広告する手段も獲得でき、夢に近づけると思っていました。
毎日同じパーカー、毎日パスタ生活。1人動画と向き合う日々。
かなりストイックにチャレンジしてたのを今でも覚えています。
あの頃は、着るものや食べるものにお金を使うよりも、もっとより多くの人に知ってもらいたい(それが自分の夢に近づく)と思って、毎日同じパーカーを着て、塩味のパスタばかり食べてました。。
そのモチベーションはどこから…?
側から見たら、自分のブランドを立ち上げたいと言ってホテルを辞めたのに、フィリピンでYouTubeをやっていることがなかなか理解してもらいにくく、それに対して身近な人からネガテイブなコメントをもらうこともありました。
「フィリピンに恩返しがしたい」動画を通して両国を繋ぐ活動ができたら。
フィリピンのストリートファッションブランド「Don’t Blame the Kids」とコラボしてモデルを務めさせてもらい、自分のファッションブランド「SANGKAI」も立ち上げ、活動を開始しました。
2018年10月には、ご自身初の1stシングルもリリースされてましたよね?
音楽関係の色々な方のご協力をいただき、日本語とタガログ語を混ぜて歌った「Sige! Sige! Bahala na!」をリリースし、興味のあった音楽活動も本格的に始めました。
周りの人が惜しみなく協力する姿を見て、郁弥さんの人柄や巻き込み力のすごさを感じます。
フィリピンへの語学留学をきっかけにYouTubeを始めたのですが、フィリピン人の方が「最高ー!」「面白い!」などとてもポジティブな反応をしてくれ、たくさん後押ししていただきました。
フィリピン人のポジティブで明るい人柄が大好きですし、今の活動が行えているのも皆さんのおかげだととても感謝しています。
日本の良さをフィリピンの人にももっと知って欲しいですし、フィリピンの良さももっと多くの日本人に伝えたいと思っています。
動画を通して、日本とフィリピンを繋ぐことができたら嬉しいと思っています。
僕が郁弥君に初めて会ったのが約2年前。
そこから、YouTubeでの活躍は元より、モデル、ファッションブランド立ち上げ、音楽活動などどんどん活動の領域を広げていきました。
そして、彼がフィリピンで今最も愛される日本人になっている大きな理由の1つが、2019年1月にフィリピンの国民的人気番組「PBB」へ出演したことです。
後編では「PBB」に出演後の心境の変化や今後の活動について、お届けしたいと思っています。
ぜひお楽しみに!
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三海郁弥さんのYouTube&SNSをチェックしよう!
YouTube:FumiShun Base
Instagram:@23shun_base
Twitter:@fumfumfum3
フィリピン在住クリエイター/ブロガー
たくせき(TAKUSEKI)