「AともいえるがBともいえる」とか言う人になってた
どもども!
TAKUSEKI(@tac_uitl)です。
今日は、ツイッター見ていて、ハッとした出来事を書きたいと思います!
趣味や情報収集の一環で、色々なブロガーさんのツイートを見ているのですが、
今日、フォローしているプロブロガーのやぎぺー(八木仁平)さんのリツイートを見て、ハッとしました!
「人による」って言葉が出た時はより思考を深めるチャンス。
/「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ – Chikirinの日記 (id:Chikirin / @InsideCHIKIRIN) https://t.co/bXPt3NK2Ht— ブロガー八木仁平@30日までバンコク (@yagijimpei) 2017年10月11日
この元記事のちきりんさんの投稿が胸にグサグサ…
以下、部分的に抜粋しています。
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「そういう場合もあるけど、違う場合もある」
「人それぞれだと思う」
「一概には言えないはず」
それは、そもそも意見なの?
それ、客観的なのではなくて、単に、
「自分の意見を持てない人間である」
「決断できない人間である」
「選べない人間である」
ってだけのことです。
自分の意見を持とうと思えば、しっかりと考える必要がでてきます。
でも、「場合による」「例外はゼロではない」なんて、一秒も考えなくても言えます。
だから、モノを考えない人は直ぐにそっちに逃げるんです。
自分の意見を持つ人にしか、自分の人生は選べません。
決められない人は、自分の人生を生きられないんです。
そしてもちろん、仕事上で価値が出せたりするはずもない。
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うううううう、めっちゃ使ってることある。。。
「自分は客観的に見れてるんだよ」っていうのをアピールするがために。。。
「考えて決める」ことが大事なんだと再確認。
そこそこ知識のある人なら、どんな事象でも両極のパターンがあるなんて百も承知。
それを敢えて「こっち!」と決めて振り切った意見を言っている。
その決める勇気や決めるまでの過程を考えない人が、
「Aともいえるが Bともいえる」
に象徴される言葉を使うことで、自分の意見を言うことを避けている。
その奥底には「こいつ、一側面しか見れてない視野の狭いやつだな」って思われるのが嫌だ
とか、人からどう見られるかを気にしている部分もあると思う。
そういう他人の目を気にしすぎるという意味でも、
自分の意見を持つ人にしか、自分の人生は選べません。
決められない人は、自分の人生を生きられないんです。
という、ちきりんさんの言葉は響く。。
自分で考えて、自分で決めて、自分で行動するために、
曖昧な表現は使わないように意識して生活しようと思った。
( ゚д゚)ノシ サラバジャー
#ボクの野心
フィリピン在住クリエイター
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